はじめに-コントラバスとの衝撃の出会い
私は、東京都立富士高校に入学した時に、好きな合奏ができるという理由で、管弦楽部に入部しました。
中学までは、学校で習うハーモニカ、リコーダー以外ではギターしか弾いたことがないという、決して経験
豊かではなく楽器の名前も代表的なものしか知らなかった私に、新入生歓迎演奏会の後、先輩が寄ってきて、
「君、体が大きいからコントラバスやらない?」「初めてでも大丈夫ですか?」「管楽器やバイオリンと違って
経験者はいないよ。」というような会話で、その10分後に「弓」というヤツを持たされて「BOWING」の練習を
させられていました。これが、私のコントラバスとの付き合いのスタートです。
出会ったのは良いけれど
練習を始めて暫くたってから、コントラバスを選んだ自分のミスに気がついたのです。(゜◇゜)~ガーン。それは、
@コントラバスの譜面は、ヘ音記号だった。ギターと笛しかやっていなかった私は、ト音記号とTAB譜しか読めない。
始めは、BOWINGの練習、つまり、弓で弦をこすってきちんとした音を出す練習のため、譜面を使わなかったのですが
スケール(どれみふぁ)の練習で初めて見たベースの譜面がヘ音記号だったのです。
A合奏の時、他の楽器の人はみんな椅子に座っている。バス椅子など無い高校の管弦楽部では、コントラバスは立ちっ放し。
当時、自転車で45分かけて通っていた私は、練習で2時間立ちっ放しの後帰宅すると足の疲労は最高潮。
Bもちろん、部の楽器を使っていたのですが、夏休みに家で練習しようと持って帰ろうと電車に乗ったら、別料金が取られ
た。(大人の運賃より高い、手荷物運賃)しかも、駅を降りてから家まで普段20分の道のりを、40分近くかかって汗だく。
何はともあれ
初めての演奏会は、1年の秋の文化祭。わずか半年の練習で挑んだ難曲は、ベートーベンの交響曲第7番。
とりあえず、弾けないところは多々あったものの、演技力で誤魔化して無事?終了しました。
それから、中央大学管弦楽団で4年、その後も時々ある高校のOBオーケストラで演奏していましたし、楽器も購入しました
が、28歳ぐらいからブランク時代に入りました。
ちょうど、私が仕事で岐阜に転勤していた時に、私の勤める「パイオニア」にオーケストラが出来た事を知りましたが、
岐阜という遠隔地で参加することもできませんでした。東京に戻って来てからは、腰痛やら長いブランクへの憂慮やらで
参加に二の足を踏んでいましたが、久しぶりに高校のOBオーケストラがあるという事で参加して、ブランクを解消。
ところが、再び腰痛に見舞われたりで、ようやく5年前に意を決してパイオニア交響楽団に入団し今日に至っております。